村上ユウタとKAZU、真夜中の浪漫。

熊フェス2終演後、会場内での二次会の後 終電を逃した僕らは、


熊フェスのことはこちら

同じ歳の友人アーティスト、村上ユウタの親父さんが経営している焼き鳥屋に向かった。

この時すでに 村上ユウタもKAZUもとても酔っ払っている。



そして 焼き鳥屋は閉店したが空けて待っていてくれたユウタくん親父さん。

とても感謝です!



僕らはギター背負って 軽く酔いが冷めた状態で店に着くと、息子のユウタがビールとハイボールを慣れた手つきで注いでくれた。

閉店しているのでユウタくんの親父さんとたくさん話すことが出来た。


いつになったら 売れるんだよー!わっはっは!


という親父さんにユウタくんは

"今年はいけるよー!見てなよ!"(珍しく酔っている)


と言っていたので僕も親父さんに、

"ユウタくんはいけますよー!もう少し先ですけど 歌は最高ですー!(まぁまぁ酔っている)



そんなやりとりに親父さんは

友達なら慰めないでビシッと言わなきゃダメだろ〜!わっはっは!


と言っていた笑顔を見たとき 僕も実家の父ちゃんのこと思い出した。

ユウタくんの親父さんはめちゃくちゃ素敵な親父さんだった。



井上陽水のこと、タイガースのこと、時代が回りまわってくる話、歌詞のこと、歌のこと、アイドルのこと、ユウタくんの親父さんも音楽をやっていたときの話。

僕はユウタくんを間に挟みながら親父さんとばっかり話をした。

ユウタくんは


初めて聞いた!そんな話聞いたことなかった!びっくりした!


と終始言っていた。その表情はとても優しい表情をしていた。気がする。(まぁまぁ酔っていた)



熊フェス2  での僕のセットリストで 
想いが溢れて、溢れた想いが優しさに変わる話をして、注がれた想いの歌を新曲で書いて歌ったんだけど、



熊フェス終演後の真夜中にまた愛情が注がれた瞬間を見て心が温まった。


東京に出てきた当時はこんな風な友達が出来るとは想像してなかったし、こんな風にたくさんの人の中でイベントしたり歌っていることを想像出来てなかった。


想像出来なかった未来がいまここにあって、これから先の未来はたくさん想像していることがある。


僕らはきっと想像してない未来も訪れるし、想像している未来通りになるかもしれないし、想像を超えてくるかもしれない。



今はもうとにかく明るい未来を想像している。




29歳の時、大好きだったばあちゃんが他界し、葬式で北海道に帰るお金がなくて兄貴にお金を振り込んでもらい帰った時

おれは惨めだ。なんにも守れてない。守れない。情けない。と両親に言った時

おとんとおかんは  あなたがやりたいと思うことを一生懸命東京でやっていること私たちの誇りなんだよ。


と言ってくれたあの瞬間から僕は生活を変えた。




そして、ユウタくんの親父さんは ユウタくんにこう言っていた。


気がすむまでやりたいことをやったらいい!お前にもう二億円は使ってるからな!わっはっは!




その言葉がとても温かくて心地のいい音がした。


村上ユウタの音楽はここから生まれたのだ。